足立区障がい福祉センターで講演

平成29年9月5日(火)

足立区障がい福祉センター

体験談・交流会

 

渡辺鋼 73歳 東久留米市

脳梗塞8年 伝導失語 右マヒ

 

1 入院直後

 手足が折れ曲がった姿が元に戻ることは難しいと実感。

 何もしゃべれないと気付いたが、すぐに治る風邪のようなものを思っていた。

 

 脳の病気で簡単には治らないと知って、

 急に落ち込みました。

 

 言語は少しでも良くなりたいと思った。

 自分のことが話せなくなるのは嫌だった。

 

2 今思うこと

 いろんな事情で、病気は理論通りにはいかない。

 落胆から再生へ

 発症して、急性期、回復期、維持期があるが・・・

 本人がその気になった時が回復期。

 

 脳に原因がある。

 自分の意識→気づき(喜び)

 失語症の仲間の力→群読で感じた喜び

 

3 若竹のこと(北多磨失語症友の会「若竹」)

 2004年5月22日発足。毎月第1第3土曜日

 旅行、料理、望年会(カラオケ)、群読、自己紹介、総会など

 最近の3人の事例を紹介する。

 

[1]55歳男性 49歳で発症

 高次脳機能障害もあり、進歩はゆっくりだった。

 昨年ガン発見

 今年ガン克服してから言語で素晴らしい進歩

 気づきが大きいと思う。

 ①ガンを克服したこと(妻の援助)

 ②やり方が変わった言語の授業

 ③群読(仲間の力)

 ④運転免許更新で自信がついた。

 

 [2]77歳女性 発症から15年

 発症から夫に任せきりだったが、去年の夫の病気で自分でやるようになった。

 

 新しい力

 14年前のくも膜下

 何日も死の底をさまよい

 家族も覚悟した 食事も掃除も買い物も

 夫がやってくれた

 

 去年からの夫の病気

 私が食事を作る

 炊飯器も自分で買った

 自転車もスイスイ乗る

 新しい力。新しい76歳。万歳

 

 [3]2013年発症、77歳、2015年入会

 先の4行は、その気持ち、後の4行は仲間の気持ち

 

 自己紹介

 自己紹介に立っただけで

 急に涙が止まらない

 失語症がこんなにいる

 緊張しているのにうれしい

 

 わかる わかる わかっている

 感極まって 泣く涙

 みんな そうさ みんな そうさ

 言葉にならない必死の言葉

 

4 言葉の教室2010年から

 第1,2,3,4金曜日 言語聴覚士

 2010年全国失語症友の会が東久留米に来てスタート。

 しかし2014年3月に杉並に移ったので、東村山市、西東京市、

 東久留米市の公共の場所を借りてやることにした(月2回金曜日)。

 

5 おしゃべり会 2014年5月~(月2回金曜日)

 失語症者と会話パートナーだけで、おしゃべり専門でやっています。

 

6 おしゃべりカフェ 2015年12月~

 毎月1回土曜日(18回目、2017年7月)

 今年4月に1周年をやった。

 その時の49歳女性の話(発症9年目)

 

 9年間、一番悔しいことは、しゃべれないこと。

 だんだん嬉しいことも増えたが、

 今も悔しいーと振り返った。

 「一人じゃなかった」

 彼女は、書く読むは一語一語では分からないが、勘でやる。

 [1]映像を集める→はっきり分かる

  自分でスマホで撮る

  スナップ写真(旅行など)

 催し物のチラシ、チケット

 [2]それでストーリーを作る

  年代別にする

  どういう写真か(嬉しい、悔しい写真)

 [3]文章にする

 [4]練習する

  今年1月から1周年の4月まで準備作業

 (彼女と作業療法士(毎週1回)と一部言語聴覚士)

 

(終)